■ 引っ越し後の近況報告(2024年3月9日) ■


「なんという生命力、なんという美しさだろう!」

一時的にお預かりしている桜がゆっくりと目の前で咲き誇っていく様子が、一足早い春の訪れを告げています。一見白梅を思わせる珍しく純白なつぼみをたくさん身に着けて、小瓶に慎ましく佇んでいるその枝たちに葉は一枚もないのに、水とわずかな光だけでこんなにも力強く生きていて、しかもつぼみから見事な花をどんどん開かせていく。植物の生命力にはいつも深い感銘を受けます。

札幌の実家火災後7年間に亘りいさせていただいたところは鉄筋鉄骨コンクリート建て集合住宅の1階で大変気温が低かったのですが、現在の新居は暖房なしでもリビングは私にとっては十分暖かく、ようやく暖房を使える状態になったにもかかわらず、まだ一度もつけずに過ごしております。

(なぜ以前のところで暖房が使えなかったかと申しますと、建物の構造上、排気口と吸気口が近すぎて排気が逆流してしまい、一酸化炭素などを再び吸気してしまって私にとってはリスクが大きすぎたためでした。新居はそれらが十分に離れているので安心して暖房を使用することが出来ます。)

ところが一部屋を「練習室」として自分に出来る防音対策を行い、そちらで張り切って練習を始めたのですが、部屋のサイズに対してやや大きすぎるように見える窓(畳一畳半くらいあります)のためあまりに寒いので、壁に埋め込まれているファンコンベクターというガス温水暖房をつけたら、1日半で壊れてしまいました。

それでなんとか窓に断熱処置を施し(鏡を購入した際にパッキンとして入っていた発砲スチロール板を2枚出窓に押し込み、その上から閉めたブラインドの上に手元にあった「プチプチ」=なんとこれが正式名称らしい=を貼りました。)、それでも何も断熱対策をしていないリビングより決まって7度ほど低いその部屋が暖まるのに40分ほどかかるパネルヒーターと小さな電気ファンヒーターのお蔭で、凍えずに練習することが出来ております。

実は旧居では、大きな鏡のある「洗面所」でいつも練習しておりました。そこは窓がなかったので現在の練習室のような直接的冷気はなかったのですが、とにかく気温の低いところでしたので、右手がしばしば凍傷になってしまいました。また何と言っても非常に狭かったので、響きを楽しむという状況ではありませんでした。

現在の練習室は6.9畳の広さで天井も十分に高く、床をフローリングに、窓際はカーテンからブラインドに変更したため、ちょうど良い具合によく響いてくれます。そのため目を閉じてヴァイオリンを弾いていると、パラダイスにいるような錯覚に陥ることがあります。実際、この世にヴァイオリンの音ほど美しい音が他に何か存在するでしょうか?

自然界にもたくさんの美しい音が存在するとは思いますが、例えば鳥の美しいさえずりなどは耳に大変心地よいとしても、音程やリズムなどによって「曲」という形のメロディーを奏でることが出来ません。ヴァイオリンはその点、音が美しい上にそれによって音楽を奏でることが出来るため、さらにこれはヴァイオリンを演奏する者の特権と言えると思うのですが、耳から聞こえる音に加えて頭蓋骨経由の『骨導音』のお蔭で、まるで小宇宙に入り込んだかのような広がりによる特別な至福感があるのです。(「骨導音」とは、頭蓋骨などの骨を震わせて聴覚神経に伝達する音です。)

あの偉大なる音楽家バッハの最良の伴侶だったアンナ・マグダレーナ・バッハが その著書「バッハの思い出」の中で音楽のことを「天上の芸術」と表現していますが、私も同感です。バッハの音楽だけでなく、例えばベートーヴェン作曲ヴァイオリン協奏曲の第2楽章などもまぎれもなく天上の音楽で、なんと神聖な旋律なのでしょう!

この度の引っ越しで最大の挑戦だったのは、火災現場から持ってきた両親の作品でした。これまでの7年間、私はそれらの煤だらけで見るも無惨な姿の作品に触ることが出来ず、ずっと保留にしておりました。それらは保存に堪えるものから明らかにそうでないものまで、とにかく現場から持ってこられるものはとりあえず持ってきたため、もの凄い量となって一部屋を占領しておりました。

流石に、全てをそのまま新居に搬入するわけには参りませんので、改めて真の意味での「遺品整理」に取りかかることとなりました。それは再びあの7年前、マッサージチェア自動発火で全焼した実家解体のための準備を行った時のように、感情をシャットダウンしなければ出来ない作業でした。

「一体どこから何をどうすればいいのだろう?」そこで基準にしたのは「本人だったらどうするのか」でした。それまでは作品の中に両親が生きているような気がして、どんなに煤だらけの作品でも処分などということは考えられませんでしたが、明らかに、本人であれば保存しない作品は処分せざるを得ませんでした。

父伊藤一雄は若い頃はとても有能な木版画家でした。水をかぶったためカビだらけで捨てざるを得ないように思われた世界各国の大きな金メダルや受賞楯などが12個、立派な箱ごと焼け残り、その他の小さなメダルは焼失しました。これらは状態があまりに酷かったので処分しかないように見えましたが、「PRIX INTERNATIONAL D'EXPOSITION D'ART UNESCO ET U.K.」(=ユネスコおよび英国国際美術展賞)という直径7cmの金メダルや、レオナルド・ダ・ヴィンチが眠るフランスのアンボワーズ城に作品が収蔵された時に父に送られた勲章など、フランス各地をはじめいろいろな国から送られてきた輝かしいメダルや勲章の数々を捨てる訳にはいかず、丁寧に一つづつ綺麗にして保存することにしました。

そして同様に、絵自体が煤に覆われてしまったいくつかの大型作品(それらはイギリスの大英博物館に収蔵されているのと同じ作品だったのですが)を除いて、焼け残った作品もそれが収められている箱も、膨大な時間と労力はかかったものの、付着した煤を丁寧に取り除いて保存することに成功しました。また、父の偉大なる師匠だった阿部貞夫先生から父がいただいたご本人の作品も、大切に綺麗にして保存出来ました。

この素晴しい人格者は私が生まれる直前に亡くなられてしまったため残念ながらお会いすることが出来ませんでしたが、もし生きておられたらきっと私の手を両手でしっかりと包み込んで「こんなにも私の作品を大切に扱ってくれてありがとう!!」と感激しながら暖かい目で情熱的に仰るであろう様子が目に浮かびます。両親もきっと、私がどれほど両親の作品を大切に扱っているかを知ったら、泣きながら感激することでしょう。

父の関係のものは数週間かけてなんとか全て綺麗にして新居に運ぶことに成功しましたが、問題は母龍子の作品でした。なにせ、何十年分もの書道作品の蓄積の上に、その一つ一つがとにかく巨大なのです。いつも「書けない」といいつつ北海道書道展、創玄書道会、そして毎日書道展の審査会員を務めていた雅号(旧姓)福森龍子はどちらかというと「エネルギー爆発型」とも言えるダイナミックな作品が多く、ひとつひとつを広げて確認するだけでも大変大きな時間とエネルギーを要するため、全てを確認するには時間が足りませんでした。

そのため明らかに保存不可な作品(残念ながら半紙は水に弱いため、それらの多くが保存に堪える状態ではありませんでした)を処分した残りは、実家から運んできたままの状態で現在一時的にリビングを陣取っております。それでもいくつかの作品は十分保存に堪えるもので、それらは父の作品と同じ部屋に保存出来ました。

また父同様、「第15回北海道書道展 準大賞」「日本書道新聞水無月賞」などの受賞楯や、「あなたは椿山荘で展覧する書団連展に 貴団体を代表する優秀な作家として 推薦されました 第八十一回 春の女流展出品の あなたの作品は特に書の精華と して賞賛と賛美に浴しました 茲に記念のため表記の証を贈り その栄誉を讃えます 平成二十一年四月八日 全国書道団体連合会」と書かれた大きな紙の「書華証」も保存することが出来ました。こうして予定通り、一部屋が「両親の作品部屋」となりました。

母の部屋にはおびただしい数の書籍が所狭しと積み上がっており、その中には大変興味深い本がたくさんありました。しかし水で濡れたそれらの本は中にびっしりと黒カビが生えており、ページ同士はくっついてしまってとても読める状態ではありませんでした。それでもどうしても読みたい本だけを数冊持って来たのですが、それらも今回の引っ越しまでは触ることが出来ませんでした。

選りすぐって持って来た本だけあって、作品を保存出来た要領で綺麗にして読み始めてからはあまりの面白さに一気に4冊読んでしまいました。中でも私を夢中にさせたのはヘロン・アレン著「バイオリン製作 今と昔 第1部」で、自分がいかにこの楽器を深く愛しているかを思い知らされました。次に尊敬するある女性経営者が著した2冊を、そして4冊目は読んでいるとあまりの衝撃で鬱になりそうなのですが大変勉強になったシュ・シャオメイ著「永遠のピアノ」という本でした。

なぜこの本を実家から持って来たかというと、フランスで何度かこの人物を知っているかと聞かれたことがあったからです。理由は恐らく「遅いスタート」というキーワードが私と共通すると人々が考えたからでしょう。「Seulement le nom.=名前だけは聞いたことがあります」とその都度答えていたのですが、いつかはこの方の本を読んでみたいと思っておりました。

「なんだ、神童だった人か・・」てっきり私と同じレイトスターター(遅く始めた人)のストーリーかと思っていたため読み始めた時は少しがっかりしたのですが、大変な困難を乗り越えて夢を実現なさった自伝は様々な衝撃に満ちており、人間が人間として生きることが出来る自由というものについて深く考えさせられる書物でした。

この本が今非常に深い意味を持つ理由は、俗に言う「グローバリスト・エリート」という人達が理想として一丸となって目指しているのがまさにこの著者が経験したような「体制・秩序」である、という深刻な現実です。それは今始まったことではなく何十年も前から周到に準備され、綿密に計画を練られてきたことです。

しかし幸いなことに多くの人々がそのことに気づき始め、一部の極めて勇敢な方々が人類の存続と基本的人権のために闘って下さっているお蔭で、それらの邪悪な計画は成功しないという希望が少しずつ見えてきたようです。

「永遠のピアノ」という本の中に、知人のことが書いてあったので驚きました。その方はアラン・ムニエ氏という素晴しいチェリストで、私がパリのエコールノルマル音楽院で室内楽を勉強していたとき、突然亡くなった先生の代行として教えに来て下さった方です。そして極めて謙遜なそのチェリストは、グループのチェリストが休んだ日に私達と一緒に演奏して下さったのですが、その演奏があまりに素晴しかったので、私は弾きながらのけぞって椅子から落ちる真似をしてみせたところ、意味が分かったらしく笑っておられました。

この本のお蔭で私は忘れかけていた長年に亘るヨーロッパでの生活、パリのルーブルをはじめとする世界中の傑作という傑作を集めた美術館の数々とそこで見たり体験したことから学んだ多くの事柄、ヴェルサイユにいる信仰の家族や彼らの礼拝堂であるディアコネスチャペルで何度も演奏させていただいた時の、あの特殊な建築構造によるこの世のものとは思えない聖なる響きのこと、パリのいくつかの巨大な石の大聖堂でオルガンと共演させていただいた時のそれこそ天上の響きのこと、パリ16区の自分が通っていた教会で一緒に演奏したオルガン奏者が数年後、偶然札幌コンサートホールKitara専属オルガニストとして札幌に来て再会したこと、パリにいる数々の優れた演奏家のこと、そして一緒に学んだり演奏したりした仲間達のことを思い出しました。

火災後札幌では「生活は出来てるんですか?」「パリの家賃っていくらなんですか?」「パリのおうちは処分することに決めたんですか?」全て焼失して何もなかった時に「バイオリンは止めたのかい?」「楽譜はあるんですか?」「たまには弾いたりしてるんですか?」「演奏活動はしていますか?」前後関係から明らかに相続税について「税金は払ったの? ◯◯さん(=弁護士)とは縁が切れたの?」吐き気で乗り物に乗ることが出来なかった頃「◯◯さんには会ったの? △△さんには会ったの? 小樽へは行ったの?」滅多に会うことの無い方から「生活には困ってないんですか?」「結婚はしないんですか?」「引っ越しはしないんですか?」お会いする度に必ず「◯◯は売れたんですか?」「あれ(=火災)から何年になる?」私が金をたかる乞食であると思っていることを意味する「困ったことがあったら何でも言って下さい、ただしお金以外ね」、そして「コンサートはないんですか?」。私は火災後、人からの質問攻めを避けるように、殻に閉じこもって人がたくさんいるところにはまだ行くことが出来ないでおります。(そう言うと「それがいけないのよねぇ」思うように出ない声を振り絞って電話に出た瞬間「今日は一段と変な声で」。私の嗄声が治るまでには長い年月を要しました。)それでもいつかは再び以前のように、皆様に演奏をお届け出来るよう弛みない努力を続けて参りたいと思っております。

昨年9月末頃、それまでいさせて下さった旧居所有者様のご家族のご都合で、突然半年以内に私が退室しなければならなくなってからの5ヶ月間は絶え間ない学び・選択・決断・行動の連続でヴァイオリンに触る時間がほとんどありませんでしたが、今週1週間の練習で私は息を吹き返しました。身体を休めなければならないことは重々承知しておりますが、私はヴァイオリンを弾くことで自分が癒やされていくこともあって練習が必要なのです。今こうして健康に生きていられる自由があること、屋根の下で安全に暖かく眠ることが出来るということ、断食の日を除いては1日2食(いろいろと試した結果、これが私には最も合っている)、毎日健康的で安心な自炊の食事による自己体調管理が出来るということ、ましてやヴァイオリンの練習が自由に出来るということがどれほど恵まれた有り難いことか! 全てに感謝です。

父が大切にスクラップして保存していた阿部貞夫先生の「思い出の先生」という新聞記事の切り抜きにある『「芸術家は”平和の使い”だから、苦しくとも、自分の生命の色彩を燃やせ」といってくれました。』という一節が、大変強く深く、心に刻まれております。私も音楽による”平和の使い”として少しでも皆様のお役に立ちたいと、心から願っております。


伊藤光湖


追記:このページをお読み下さっている私の大切な愛する皆様に是非ともご活用いただきたいのが『「救い」への招き 』の7ページ目です。どうか親愛なる皆様が将来天の御国で神様の豊かな祝福に包まれながら幸せに永遠の時を過ごすことが出来ますように。

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