■ 忘れかけていた大切なこと(2021年9月5日)■


今年の北海道の夏は連日30度を超える「日本一暑い」日が続くなど極めて挑戦的でしたが、ようやく秋らしくなって参りました今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はもともと暑さには強い方で(その代わり酷く寒がりなのですが)、室温31度湿度70%の中でも普通に練習しておりました。過ごしやすい気温になった現在も、お蔭様で大変良好な健康状態を保っております。

様々な対策・要請・宣言などの発令に伴い、なかなか皆様に生の演奏をお届けするのが難しい状況が続く中、毎日の練習に加えて8月には今年3曲目になる小品の作曲を完成するなど順調に音楽活動を続けております。

さて、先日たまたま古いドキュメントの整理をしておりましたところ、2005年に作成した「ニーマン先生」という文書が出てきたので、本日ご紹介したいと思います。こちらはある方から「季刊ゴーシュ(北海道発のクラシック音楽マガジン)に掲載するための記事を「ニーマン先生」というタイトルで書いて欲しい」と言われて提出したものです。(こちらをクリック

この文書に出てくる「PMF」とは、札幌市で毎年開催されている国際教育音楽祭 Pacific Music Festival (パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)のことで、京都市立芸術大学4回生の時に初参加させていただきました。

私は現在、過去に先生達から教えていただいた「技術的な事」とはあまりにも全く異なる独自の奏法で演奏しているため、技術以外に教えていただいたことまでもすっかり忘れかけておりました。特にこのイフラ・ニーマン先生という方との出会いは、上記の文書にも書きました通り「人格者との出会い」であり、私は音楽というものに対する考え方や姿勢について大変大きな影響を受けました。

このような大切なことを忘れかけるとは、なんと愚かなことでしょう。学んだ内容はしっかりと身についていても、「それを誰が教えて下さったのか」ということは忘れてしまいがちです。改めて、これまでいろいろと教えて下さった方々に心より感謝致しております。

また、自分の頭で物事を考える年齢になってから音楽を学び始めて、自らその道に進む事を選んだことで、もちろん様々な困難を乗り越えなければならなかったことは言うまでもありませんが、同時にいくつもの大きな祝福がありました。例えば「他人と自分を比べない」こと、そして「自分で選択した道なので、全責任は自分にある」ことなどです。これらは幸せな人生の基本原則だと考えております。


=== おまけ ===

このニーマン先生が亡くなった後にロンドンで開催された「ニーマン先生・メモリアル・コンサート」のレセプションで、ヴァイオリニストのイヴリー・ギトリス氏(ニーマン先生と同じ門下生だったそうです)と偶然お会いし、パリのご自宅が私の住居と近いことから「フランスに戻ったら電話して」という言葉を真に受けて、ある日ギトリス氏にお電話致しました。

その時話したことの内容は全く記憶にないのですが、「あんたの言ってることは面白い。今からうちにおいで」「・・・は? あの、いくら近いと言ってもこれから準備して出発したらそちらに着くのは夜の10時を過ぎますが・・」「いいから今すぐおいで」

ということで私は直ちにギトリス氏のお宅に伺ったのですが、彼のおうちのあまりの汚さに堪えられず夜中までかかって掃除をしまくって、ついでにギトリス氏にマッサージをして帰って来ました。その後も何度か伺いましたが、一度もヴァイオリンを習うとか(楽器を持っていったことがありません)、音楽の話をするなどということはなく、いつも掃除と片付けとマッサージをして帰ってきました。

面白かったのは「留守電メッセージ」で、ボタンを押すといろいろなメッセージが流れるのですが、「あ、これマルタ・アルゲリッチ。あ、これミッシャ・マイスキー」という具合に次から次へと俗に言う「超有名人たち」が残したメッセージだったのが強く印象に残っております。

初めて伺った時しょうがとおろし金を持って行ったら「あんた、変わってるねぇ」「いや別に。これ身体にいいんですよ。」 あの常にいたずらっぽい微笑みを浮かべて冗談を言うチャーミングで偉大なヴァイオリニストは、2020年のクリスマス・イヴに98年という長い人生の幕を閉じられました。せめて一度くらいギトリス氏の楽器を触らせてもらえば良かったと、今では少しだけ後悔致しております。


伊藤光湖


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