■ 発見の連続(2021年3月8日) ■


2020年末の指先の怪我により偶然発見した新しい弓の持ち方がほぼ定着したところで、次々と新しい発見が続いております。その度に新しい技術への適応に挑戦するので、発見についていくために日々奮闘致しております。

私が初めて「ヴァイオリン・メソッド(奏法)」をいうものを習ったのはロンドンに留学した時で、先生はイフラ・ニーマン教授という方でした。それは京都市立芸術大学を卒業した後のことなので、一体何を言っているのかと思われることとは存じますが、それ以前に知っていたのは左手でヴァイオリンを、右手で弓を持つということくらいで、「奏法」というものはほとんど全く知りませんでした。それでもピアノの鍵盤を押すと音が出るように、ヴァイオリンも一応は弦を弓の毛でこすると音が出るのでございます。

もしもピアノなら、例えば鍵盤に対して真横を向いて座って弾いていたらそれは理想的な状態とは言えないであろうことは一目瞭然なのですが、それがヴァイオリンとなりますと、かなりおかしなことをしていても非常にわかりずらいのです。

ロンドン留学は録音審査による入学で、ニーマン先生という方には私のバックグラウンドは一切お話しせずに録音をお渡ししてギルドホール音楽院の大学院に入学させていただきました。その後で、初めてのレッスンのときに「いや実は」ということで遅く始めたため何も知らないことをお伝えしましたところ、まぁとにかく何か演奏して下さいということで、入試用に録音したメンデルスゾーン作曲ヴァイオリン協奏曲の第1楽章を演奏致しました。その演奏を初めて『ご覧になった』時のニーマン先生の「 You really don't know anything.(=あなたは本当に、何も知らないのですね)」と仰ったときの顎が外れそうな勢いであきれ果てたお顔を、今でもはっきりと覚えております。

要するに、プロのヴァイオリン教授が見たら「しっちゃかめっちゃか」なことをして音を出していたわけでございます。

そのニーマン先生にいちから教えていただいたテクニックが、当時から約70年前に終わった古い奏法(現在ではモダン・ヴァイオリン・テクニックが主流です)だったということが発覚したときの衝撃は今でもトラウマのように残っておりますが、そこから始まった独自の試行錯誤によるオリジナル・メソッドの開発は今でも続いております。

これまで自分の人体工学にそぐわない事は極力変更してきたつもりでしたが、「高いレッスン代を支払って習ったこと」というのは案外深く無意識の中にまで染み付いているところがあり、特に強く「これはだめ」と教わった事柄に関しては知らず知らずのうちに避けているところがございました。しかし例えば食卓の中央にある塩を取るのにいちいち立ち上がるという方法を習って今までずっとそのようにしていたのに、あることがきっかけでちょっと腕を伸ばせば届くということがわかった、しかも手が長いので中央と言わずテーブルの端まで手が届くではないか!という発見をした場合のように、それならばいちいち立ち上がらずに座ったまま取る方法に変更しよう、ということになるのでございます。
gibbon
これはあくまで人それぞれの身体のつくりの違いによるものであり、手の大きさから関節の開く角度まで一人一人異なるためです。私は腕が長く(あだ名はテナガザルでした)たまたま手が割と大きい方で、かつ左手の親指の関節が大きく開く(右手は開きません)ため、開かないもしくは届かない人には決して良くない方法が私にはたまたま適していたらしいのです。ですから決して先生がいけないことを教えていらしたということではありません。ニーマン先生は素晴らしい先生でした。

理由はわかりませんが、私には深く内側から沸き上がってくる「音楽」というもの、それは音によって描かれる絵画のような芸術というか、火山の下で熱く動いているマグマのようなものというか、要するに誰か別の方から「こうしなさい」と言われて行う演奏とははっきりと異なる自主的な「独自の創作的芸術としての音楽」があり、それを表現出来るようになるために日々努力を重ねております。

それはすなわち「音楽そのものが持つパワーに身体の中から突き動かされるような感動」なのです。演奏をお聴き下さる皆様の心に明確な音の絵画を描けるようになるために、伊藤光湖は明日もまた挑戦を続けるのであります。

今年の北海道は雪の多い冬でしたがようやく春の兆しが見えて参りました。どんなに冬が寒くても、必ずその後には暖かい季節が巡って参ります。皆様どうぞ健やかにお過ごし下さい。


伊藤光湖


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