つい先日まで、実家が火災保険に入っていたのかどうか、
もし入っていたとすればどの会社なのか、ということがわからず、
家周りなどの瓦礫の中にそういった書類がないか、そして焼け残った
両親の銀行通帳の印字や他に口座がないかどうかなどを調べた
結果何も出てこなかったので、火災保険に関しては
あきらめかけておりました。
ところが実家を建築して下さった建築会社に問い合わせて
みましたところ、来年まで有効の火災保険に加入していたことが
わかり、早速請求手続きに進む準備を始めました。その必要書類の一つに
「 現場検証 」 による証書があり、8月24日に 「 ◯◯鑑定 」 様による
現場検証を行う運びとなりました。
ということで本日、火災保険請求に必要な現場検証に
立ち会い、再び実家の中に入りました。検証にお越し下さった
方に窓に打ち付けてある木の板を外していただき、警察・消防の方と
行った現場検証の時と同じように、出火元であるマッサージ
チェアの置いてある1階和室部屋に、はしごを使って
窓から中に入りました。
前回と異なるのは、私がお隣様からデジタルカメラをお貸し
いただき、現場の写真を撮ったことです。(このページ下部に写真あり。
閲覧注意) 出火元がマッサージチェアであり、コンロではないという証拠を
残すため(もちろん警察・消防の方は既に写真をお持ちですが、私が
それらの写真をいただくことが出来ないため)です。
出火元のマッサージチェアはあまりにも焼けすぎて、それが
マッサージチェアであったことすらわからない程であり、またその真上の
天井の焼け方が非常に激しいことから、そこが最も長く焼けていたということが
わかるそうです。(これは前回の現場検証の時に警察の方が教えて下さった
ことです。)確かに同じ部屋の天井でも、マッサージチェアの
真上だけが真っ黒な炭になっておりました。
一方コンロのあるキッチンはほとんど焼けておらず、天井もそのまま
でした。表面に煤がついてはおりますが、天井付近でも棚の中などは全く
熱が伝わっておらず、プラスチックの容器などもそのまま使えそうなほど全く
影響を受けておりませんでした。引き出しに入っていた私の食器などは
煤さえついておらず、後日持ち出してそのまま使おうかとさえ
思う程です。
そして本日最大の出来事は、2階の私の部屋の奥の部屋(寝室)から
たくさんの写真アルバムが焼け残ったまま出てきたことです。9月14日の
「 両親合同メモリアル 」 にて使用する両親の写真をどうしても手に入れたかった
ところでしたので、たくさんの写真が焼け残ったことを感謝致しております。
ただ、父がいつもカメラマンだった関係で父の写真がほとんどなく、
「 母子 」 の写真が大半です。それでも父が米カリフォルニア大学で木版画の
講師をしていた時の写真などが出てきたので助かりました。両親の展覧会に
関する新聞記事に載せていただいていた家族3人で写っている写真が
入ったアルバムは、消失してしまったようでした。
もう一つ、私が密かに知りたかった 「 焼けてしまった私のヴァイオリンは、
全てが灰になってしまったのだろうか、それともかけらだけでも焼け残ったの
だろうか? 」 という疑問が本日およそ晴れたのも、私の中では大きな一区切り
でした。演奏会で使用していた楽器は、見事に炭になったピアノの上に
置いてあったので、恐らく全てが灰になったのだろう、
という推測はしておりました。
しかし家周りの瓦礫を確認する度に 「 もしかすると何か出てくるのかも
しれない 」 という緊張感があった(というよりも心の中で探し求めていたのだと
思います)のですが、本日初めて 「 ピアノの上にあったもの 」 が落ちている
場所を、私の部屋の中の、ピアノのすぐそばで発見致しました。
そこには、ピアノにかけていたレース編みクロスの一部と、ほんのわずかに
焼け残った楽器ケースの底板の一部と一番外側の紺色のソフトカバーの一部だけ
が落ちていて、それ以外は炭になった木のかけらが散乱しておりました。
それらの木のかけらは、その厚さや形、また楽器のすぐ隣に
置いてあったものの焼け方から見て、ヴァイオリンではなく 「 ヴァイオリン
ケース 」 が焼けて炭になったものだと思います。
つまりその上に置いてあったヴァイオリンと弓、それらは私の身体の一部
なのですが、それらは、やはり全てが灰となって、もうひとかけらもこの世には
存在しなくなったのだ、ということがわかりましたので、ある程度、
心の整理がつきました。
以上、2017年8月24日に行った、火災保険用
現場検証のレポートです。
伊藤光湖
□ 以下、現場の写真です。画像をクリックすると拡大します。