■ ご報告 (2017年7月22日) ■


こんにちは、伊藤です。
7月20日午後、警察から連絡が来まして、伊藤龍子の
DNA 鑑定の結果、本人確認が取れたとのことでした。

その電話での警察からの指示に従い、まず葬儀屋に連絡をし、厚別警察署安置室
から遺体を火葬場に搬送する段取りをとるように言われましたので、早速
インターネットで葬儀会社を選んで、火葬の依頼を致しました。

遺体の損傷が激しいことから、一刻も早く火葬を行うという方向で
話を進めましたところ、21日午前10時に厚別警察署に葬儀屋さんにお越し
いただき、死亡検案書と遺体の引き取りを行うことになりました。

ところが、伊藤龍子の検案書がまだ厚別警察署に届いていないということで、
私が当日の朝8:30から9:00の間に、伊藤龍子の検案書を作成して下さった医師の自宅に
検案書を取りに伺うことになりました。地下鉄〇〇から徒歩15分程度、
〇〇小学校のそばのお宅に伺いました。

無事伊藤龍子の検案書を受け取って支払いを済ませた後、そのまま歩いて
厚別警察署へ行き(途中イオンでサンドイッチを買いましたが)、9:40まで
サンドイッチを食べたりしながら過ごした後、担当者を呼びました。

入院中に事情聴取に来て下さった担当の警察の方との手続きを済ませた
ところに9:50葬儀屋さんが到着、遺体を車に乗せる準備をして下さる間
しばらくロビーで待った後、もう一度警察の方から両親の簡単な
生い立ちに関する質問を受けた後、2台の霊柩車に乗せられた両親の、
母が乗っている方の車に乗って、〇〇区にある〇〇斎場というところへ
向かいました。

〇〇斎場の2階のお部屋に一旦両親の遺体を預かっていただき、
葬儀屋さんからいろいろな説明を受けたり、書類の準備をしたりしていると、
偶然厚別警察署に私の親戚を名乗る女性2名が訪ねて来ている、〇〇斎場の
場所を知らせてもよいか、という電話が担当の警察の方から来たので、
親戚なのであれば私の一存で断るわけにもいかないと思って許可を
出しました。

まだ私が葬儀屋さんとの手続きの途中で、母方の親戚2名(母の母=光湖の
祖母、の妹の娘とかいう方々)がいらっしゃり、お会いしました。
お一人は何度もちえりあリサイタルの時に花束を下さったので
お名前を覚えておりました。連絡先を交換し、火葬が済むまでは私一人で
行いたいとの希望を伝えましたところご理解下さり、火葬立ち会いは
ご遠慮いただきました。

その後遺体は〇〇斎場にお預かりいただき、私は一旦〇〇さんの
お宅に戻りました。

22日朝9:00出発で火葬場(〇〇斎場)へ向かうのに合わせて
8:30に〇〇斎場(地下鉄〇〇から徒歩8分)に到着し、
私がお願いしたお花や、お心遣いいただいたお花を
両親の棺の上に並べたりしていると、〇〇様が
部屋に入ってらして、そうこうしているうちに
書類の手続きや支払いなどを済ませて出棺の準備を
済ませ(このへんのことは、本当は、お願いした通り、
一人でさせて欲しかったのですが、〇〇様のご厚意を
踏みにじるわけにも行かず)その後遺体を再び霊柩車に
移動し、今度は父の棺の横に座って〇〇斎場へと
向かいました。

順調に予定通り9:35頃「お別れ」と称する「焼き直し」まで進むことができ、
約1時間半後に集骨開始、11:40頃集骨を終了致しました。〇〇斎場職員の方に
お手伝いいただきながら、両親(母、父)の集骨を、この手で、
行うことが出来ました。両手に割り箸を持って行ったので、倍の速さで
集骨を行うことが出来ました(2人分なので急ぎました!)。

既に事件から3週間以上(DNA鑑定結果が出るまで)が経過しており、
遺体の損傷が激しい状態だったことから、選択の余地なく最速で火葬までを
一人で済ませてしまいましたことを、ご理解いただければ幸いです。
もちろん両親に「お別れ」されたかった方もたくさんいらっしゃることとは存じますが、
このような特殊な事情により、余儀なくこのような形を取らせていただきました。

具体的にいつ実現出来るかはまだわかりませんが、後日、
両親合同の簡単なメモリアルサービス(お別れの会)を開催し、その時に
どなたでもお越しいただけるようにして、私がラフマニノフ作曲のヴォカリーズと、
グローリーメドレーを、何処かからヴァイオリンを借りてきて演奏する、
といったようなことを、漠然と考えております。

ひとまずは、ある意味このために無理矢理退院したところもあります
両親を一刻も早く(あまりにも損傷が激しくなる前に)遺骨にしてあげる、
という大変大きなステップを、なんとか無事に終了することが
出来ましたことをご報告致します。

伊藤光湖


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