■ 納骨・実家解体などに関する近況報告 (2017年12月
9日) ■


11月始めに、両親合同メモリアルのためにお借りしていたヴァイオリンを持ち主に 無事お返しし、その後11月半ばに霊園が閉まる前に両親の 納骨を済ませることが出来ましたことを感謝致しております。 二人分の納骨をこの手で、一人で行ったのも(私はこういったことは 一人で行いたいタチでして)なんとなくその方が、両親には 喜ばれるような気がしております。

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納骨前母・龍子は薔薇を愛し、
しばしば書いていた
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福森龍子作花瓶も龍子の作福森龍子作


全焼した実家の解体作業が、本日一区切りを迎えました。今週で 土台から上の撤去が終了し、残りは来春に持ち越しとなりました。 解体作業の途中で雪が降ってしまい、業者の皆様には大変なご苦労を おかけしてしまいました。悪条件の中解体をして下さり、 本当に、どうもありがとうございました。

私たち家族が29年間住んできた、そして私が退院後、3ヶ月間その中で作業を 続けてきた家が、跡形もなく消え去ったところを見るのはこれまた、なんとも 筆舌に尽くしがたい思いでございます。しかしながら、「全てを失った」という 思いよりも、ある意味これをひとつの目標にこれまで頑張ってきた「全焼した家の解体を、 土台から上だけでも雪が降る前に終わらせる」という目的を果たせた安心感の方が大きいような気が致します。

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11月7日・横11月7日・正面11月19日・正面
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11月19日・突然の積雪12月9日・横12月9日・正面


これまであまりにも凄惨な状況の、電気がない真っ暗で 煤だらけの、目を覆いたくなるような現場で、寒さに震えながら 懐中電灯一本で健康を犠牲にして(そこにいるだけで喉が痛くなる、凄まじい悪臭が消える事のない、 猛烈に空気の悪い、マスクをしても鼻をかめば真っ黒、うがいをしても 真っ黒、顔も真っ黒という煤だらけの焼け跡の中)無理を重ねながら、 極めて危険な状況で悲惨な作業をずっと一人で3ヶ月間続けてきて (これは安全性とプライバシーの関係で、私一人で行うべき作業でしたので)、 そこからそれこそ筆舌に尽くしがたい思いで搬出したものが 私に残された全財産(家に残されたもの、という意味で)であり、 本当に、全焼した家に残された瓦礫処理の中で、全てが煤だらけなのですが 少しでも使えるものは縦に細長い窓からそれらを持って(周りにものを置くところがないので)やっと搬出、もしくは 40リットルの黄色い袋に入れて、激しく焼けた2階の私の部屋の崩れそうな 窓枠に足をかけ、窓から身を乗り出してロープでつり下ろしてようやく 搬出し持ち帰ってきて、(主に街でただで配っているようなティッシュや 文房具、食器などではありますが)その上についた汚れ・カビ・煤を やっとの思いで掃除して(買った方が早いのはよくわかっております)、 それらを大切にやっと使ってなんとか生きております。

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伊藤光湖が3ヶ月間出入りして
いた窓・赤い矢印の窓から。火災の
時に私が飛び下りた窓のほぼ真下
玄関が塞がっていたため、唯一開ける
ことが出来たこの窓から出入りして作業
をし、ここから遺品を搬出していた


それらは、同じものを購入するとか、いただくとか、では決して 替えることの出来ない、私にとりましては両親が私に残してくれた、 最期の大切な大切な、私の全財産(「かたみ」と言った方がいいかも しれません)なのです。それ以外の家にあった物は、本当に全て、 ものの数分間のうちに、両親やヴァイオリン2台と共に、焼けてなくなってしまいました。 だから悪臭が染みついて取れないティッシュひとつでも(それらを搬出するのにあまりにも大変 苦労したから、というのも大きいのでしょうが)、私にとっては、 二人同時に亡くなった両親の思いがそこに残されている ような気がして、大切にしているのです。

この3ヶ月間の作業を成し遂げることが出来ましたのも、余りあるご厚意とご支援を 下さいましたお隣様・Kご夫妻のお蔭でございます。本当に、なんとお礼申し上げて よいかわかりません。心より深く感謝申し上げます。そして、最後には 私が持てないものの搬出にご協力下さいました解体業者の皆様にも、 深くお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

( 現在何か「もの」に不自由している、ということは全くございません。 この記事のために誤解され、間違っても「伊藤光湖に何か送らねば」などと 思われませぬよう、くれぐれも、重ねてどうぞよろしくお願い申し上げます。)



□ 体調

「本ガイドラインに掲載される急性中毒プロトコールは医学的な スタンディングオーダーとしての意義を持ち、MC登録指示医師および 救急救命士を含む救急隊員は必ず遵守しなければならない。」(P.2) ということになっているらしい、湘南地区メディカルコントロール 協議会の【中毒ガイドライン】( http://shonan-mc.org/images/guideline/kguide/toxic_guide.pdf ) によれば、「急性一酸化炭素中毒は高気圧酸素治療を実施できる 救急医療施設を選定する 」(P.10、17、19)

また、別府高明氏による岩手医科大学 脳神経外科・高気圧環境医学の 『一酸化炭素中毒(carbon monoxide poisoning)【高気圧酸素治療 エビデンスレポート】(2015年6月)』( http://www.jshm.net/P02/502-94.pdf ) にある、「現時点では,重症CO中毒症例を中心に,全身状態などを考慮の 上,NBO(=normobaric oxygenation 100%酸素吸入)に加えてHBO2(=hyperbaric oxygenation 高気圧酸素 治療)を施行すべきであろう。」

を参考に、遅ればせながら初めての「高気圧酸素治療」を始めました。

(この「高気圧酸素治療」に関しては、効果がある、ない、といった 臨床的有効性が確立されていない、というか人によって条件が異なるので比較出来ない、らしいのですが、 「長期的な高圧酸素療法が社会復帰に奏効したと思われる間歇型一酸化 炭素中毒の1例」なども報告されておりますし(日本救急医学会雑誌、 2017年8月:第28巻 第8号 http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/jja2.12220/pdf )、 今の自分に出来ることはやっておいた方が後で後悔しないであろう、 ということで行っております。ちなみに私は入院時、重傷の気道熱傷で 喉が塞がっておりましたので、気管に太いチューブを通した状態で行われる平圧高濃度酸素の人工呼吸を受けたことに不満はありません。)

私の場合は高気圧酸素から「出た後、酸欠になるから」ではないか(?) と思われますが、不思議なことにいつも高気圧酸素治療の後、身体がうまく 動かなくなります。それでも回を重ねるごとに慣れてきたらしく、 なんとか上手に歩いて帰ることが出来るようになりました。

時々歩けなくなって止まりそうになるとき左腕に不随意運動が出たり、 受話器を持つ動作でやはり左腕にtremor(振戦・ふるえ{で始まりやはりBallismusと思われる不随意運動になる})が起きたりと、 たまに左側に不都合を感じる機会もありますが、日常生活では 特に困っておりません。

「良くなってるんですか?」というご質問に対しては、正直なところ、 よくわからない、というのが答えです。「いつまで気をつければいいの?」 というご質問に関しましては、私のような間歇型一酸化炭素中毒(=急性 一酸化炭素中毒の後、時間がたってから不随意運動などの後遺症が出る) の場合は、既に身体に結びついてしまった一酸化炭素が徐々に破壊を進めて 行くらしいということで、「一生いつ何が起きるかわからない」というのが 答えかと思います。ただ、そのような脳細胞などの破壊を阻止、 もしくは遅らせるために、自分に出来る努力は積極的に続けていきたいと 思っております。



□ 近況

恥ずかしながら、いまだに祖母の原戸籍を追うなどの諸々の手続きに 追われております。同時に少しずつではありますが、リハビリも行って おります。変わってしまった体質と、落ちてしまった筋肉を少しずつでも 元に戻したく、といっても急にトレーニングが出来るような状態では ないので、本当にゆっくりと、少しずつのリハビリです。

一度激しく焼けただれた喉や気管・肺にはマスクをしてもこたえる 北海道の真冬の空気ですが、通常は雪のないParisで過ごす冬を、北海道 ならではの美しい雪に囲まれながら、精一杯暮らしております。

残念ながら、声は元には戻らないようです。実際、実家での作業後あまり 声が出なくなりました。一時期は非常に音域が下がっていた時期などもございました が、現在ではただのガラガラの聞き取りづらい声です。いっそのこと、 入院中の時のように「筆談」にした方がいいのかもしれません。 それでもまだなんとか会話が出来ることに感謝です。

火災で重傷を負った私がここまで来ることが出来ましたのもひとえに、皆様の温かいご支援・ご協力のお蔭でございます。 改めまして、心より深く、感謝申し上げます。

皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。


伊藤光湖


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