■ 2017年6月30日未明の火災について ■


○ 2017年6月29日夜遅く(正確には30日午前12:30頃)、伊藤光湖が2階の自分の部屋にて異臭に気付き、階段を下りる。

○ 玄関から入って左側にある1階畳の部屋に置いてあったマッサージチェアから火が燃え上がっているのを発見。その時は、マッサージチェアの座面全体が燃えていたが、マッサージの部分は動いてはいなかった。その炎は自分で消せそうな、消せなそうな様子であったが、消火シートなどの火を消す手段が手元になく、取り急ぎまずは父を起こしに1階の茶の間の方(父の部屋は茶の間を通った1階にある)へと向かう。

○ 父は茶の間の電気をつけた状態で、自分がいつも座る食卓の椅子に座ったまま、居眠りをしていた。「火事だ!」と声をかけたが起きず、左肩を強く叩いてから再び「火事だ!」と叫ぶと「えっ!」と言って椅子から飛び起き、立ち上がった。

○ 私はそのまま階段を下りたところ(火災を第一発見した場所)へ戻った時、既に火はマッサージチェアの座面だけでなく、背もたれの部分にまで燃え広がって炎の背が高くなっており、これは明らかに自分ではどうすることも出来ないと理解する。

○ とにかく2階の母の部屋で寝ている母を起こさねばと思い、全速力で階段を上ったところに、私が父を起こした声で目を覚ました母が、自分で部屋から出てきたところに出合う。「火事だ!!」と母に伝え、全速力のまま私は2階の自分の部屋へと駆け込み(それが最も早く119番に通報出来る方法だった)、そのまま119番に電話し、火災について通報する。

○ 「もしもし伊藤です。火事です、すぐに来て下さい。」と伝えたところで、私について私の部屋に入ってきてしまった母が窓を開けようとしたので、「窓は開けちゃいけないはずだよ」と言って止めさせる。(もしここで母が窓を開けていれば、明らかに、私が住所と名前を言い終わる前に私も亡くなっていたと思う。)

○ 119番の声の方はそこで「落ち着いて、住所と名前を言って下さい」と言ったので、有毒ガスを吸ったせいで既に声を出すのが困難ではあったが、なんとか「札幌市○○区○○東○条○丁目○○、伊藤です。火事です、すぐ来て下さい。」と伝える。(この時私は出火元であるマッサージチェアについては一言も話していない。どなたが「コンロから出火」や「娘は軽症」といった偽りの情報を流したのか知らないが、是非とも責任をお取りいただきたい。)

○ 私が電話で住所と名前を伝えている間に、当然母は、唯一の脱出口である階段へと向かったはずである。私は電話に集中していたため母を見てはいなかったが、声は何度か聞いた。最初は階段付近に移動した母があげた悲鳴、次に母は「イエス様」と言った。再び悲鳴、この悲鳴のため、私は「おっとただいま急激に煙が2階に上がって来ましたが、こういった場合はどうすればよろしいでしょうか?」と言った後の119番の電話の声を聞き取ることが出来ず、既に住所と名前を伝えてあるのでそのまま電話を切ってしまう。

○ 煙はその後ほんの15秒ほどで部屋中に充満し、既に母がどこにいるのか全く見えない状態となる。私が声を頼りに母のところへ行こうとした時、あまりの煙で息が出来なかった(と思われる)母が「そこ開けて」と言った。部屋中に充満した煙で私も呼吸が出来ず、窓を開けなければ窒息死するという状態となり、私は電話のそばの方の窓へと向かう。煙のせいで、すぐそこにあるはずのブラインドも見えず、手探りで(これは自分の部屋だったからこそ出来たことである)ブラインドを上げることに成功し、さらに手探りで窓も開けることに成功。

○ 開けた窓から外に身を乗り出して呼吸をしようとしたとき、背後から部屋の外に向かって凄まじい量の真っ白な煙が吹き出していた。夜の12:30に2階の窓から見下ろす地面は果てしなく遠く見え、赤黒く不気味に光る地面を見ながら「飛び降りか?」と考えたが、いくら忍者のごとき伊藤光湖といえども、ここから落ちればまず無理だろう、と思う。それよりも、仮に母がどこにいるかを見つけ出すのに成功し、窓際まで母を連れて来ることが出来たとしても、76歳骨粗鬆症の脊椎圧迫骨折を患う母が2階の窓から落ちて助かる見込みはほぼないという状況だった。しかし、その時私は窓のすぐそばに木が生えていることを思い出す。煙で外も見えない状態ではあったが、直径3ミリくらいの細い枝が目に入り、この時「私が母を背負って木に飛び移れば、なんとかなるかもしれない」と考える。これらは文字にすると非常に長いのだが、全ては私の頭の中で一瞬にして起きたことである。

○ 話が若干前後するが、私が必死にブラインドと窓を開けようとしている間に、母の最期の言葉「みっこ、ちゃん」を聞く。(母は私を「ちゃんづけ」で呼ぶことはないのだが、何故かこの最期の言葉だけはみっこ、ちゃん、であった。) 窓を開ける前も開けた後も、私は必死に母に声をかけていた。しかしこの最期の言葉以降、母の反応がなくなってしまい、母が部屋のどこにいるのかが完全にわからなくなる。

○ それでも母を助けるために何とかして階段方向へと進もうとするが、凄まじい熱風に煽られてしまい前に進めない。それでも何度か母が倒れているはずの階段付近へ行こうとしたが、遂には凄まじい熱風に押し出されるようにして(下で爆発があったのかもしれない)私は窓から飛び下りる。(これがあと数秒遅ければ、恐らく私も一酸化炭素中毒で亡くなっていたと思う。)

○ 正確には、部屋の前にあった細い枝に飛び移ったのだが、なにせ枝が非常に細いため、3回ほどつかまり直したが結局はその枝が折れて(後日その枝を発見したが、直径2センチあるかどうかという細い枝だった)、すなわちほぼ2階の高さから、折れた枝を途中まで持った状態で(すぐに手から離した記憶がある)、玄関の横、右側の道路に沿った方にあるコンクリート地面(8月3日現場確認、それまではコンクリートではなくアスファルトかと思っていた)の上に背中から落下する。

○ 落下してから約2秒後に上を見上げて「まだ生きてる」と思う。その後間髪入れずに立ち上がり、父が脱出したはずの表玄関へダッシュする。しかしなんと玄関の鍵は閉まっていた。

○ それはすなわち、父もまだ家の中にいることを意味していた。私は何度も何度も玄関の戸を右手で叩いては、鍵を開けようとしてドアを引っ張る、ということを繰り返したが開くはずもない。

○ 次に無駄とはわかっていても少しでも水を出そうと思い、玄関付近の家の角にある水道の蛇口を捻っても水は出ない。(後で考えると、元栓というものが閉まっていたのだろうと思う。)

○ 再び玄関へと戻り、なぜ父がまだ外に出ていないのか全く理解できないまま(父は下の階におり、いくらでも逃げる時間があった)はじめと同じように、戸を叩いては開けようとする、を繰り返しているうちに、今度は玄関のガラスが割れ始めた。私は初め、父が脱出しようとして中から割っているのかと思ったが、やがてランダムに割れ初め、しかも割れたところから見える部分が赤く燃えていることから、これは父ではないと気付く。

○ その瞬間「隣近所に知らせなくては」と思い、すぐお隣のお宅へ(私は2階の窓から飛び下りたので靴を履いておらず、確か右足に小石が刺さったのを取り除いてから、お隣のお宅へと)ダッシュする。

○ そのお隣の方はインターフォンに出て、私は「隣の伊藤です。火事なんです、助けて下さい」と言うと「わかりました、すぐ行きます」と言った。そのまま階段を降りて(このあたりの住宅はどこも階段を上ったところが1階で、玄関はその高さにある)我が家の反対隣にあるお宅へとダッシュし、インターフォンをかなり何度も何度も鳴らしたが、お留守かお休み中で反応がなかった。そこへ私が呼んだ消防車が数台(私が最初に見たのは確か3~4台くらいだった)到着し、私は手を上げて「私が呼びました」と伝える。

〇 消防の方「この家の人?」、私「はい、私が119番通報しました」、消防の方「中にまだ人はいる?」、既に喉がかなり塞がっていた私はほとんど声を出せない状態で、ほんの数分前に私が飛び下りた窓、つまり2階の私の部屋を無言で指さした。その部屋は外から見ると、紅蓮の炎に染まって真っ赤に見えた。そこに母がいるはずだった。何故かすぐ隣の母の部屋は暗かった。

○ 「他にまだ中に人いるの?」という質問に、出ない声を振り絞って「1階にもう一人」と答え、何度か確認のやり取りがあった後、消防の方が「ここ危ないですから、あちらへ行って下さい」と言って、私は○○通りと平行に走る道に待機していた救急車へと誘導される。

○ 向かって左側に頭を向けた救急車の後部の扉が確か上に向かって大きく開いており、その前には机ほどの高さに設置されたホワイトボードが地面と水平に置いてあった。そこでいくつかの質問を受けたが、既に喉が腫れ上がって話すことが出来なくなっていた私は、そこにあった赤いゼブラマッキーのマジックペンを使って筆談により、父伊藤一雄と母伊藤龍子の名前と年齢、生年月日、出火元、家の簡単な図面とどこに両親がいるのか、などを伝えた後、担架に乗せられ、身体をバンドのようなもので固定され、救急車に移動され、酸素マスクをつけられ、寒さでガタガタ震えながら病院へと運ばれる。

○ 「一体どこへ連れて行くのか?」と不思議に思うほど、その道のりは長く感じられた。途中何度も声をかけられ、何の質問に答えたのか記憶がないが「私は2階の窓から飛び下りました」とささやくと非常にびっくりされ、急に脚や足、腕などあちらこちらを触って骨折がないかどうかチェックされたが、膝に2ヶ所ほど打撲があった以外には、私は全く怪我をしていなかった。(といっても後で分かったことだが、右の耳にかなり酷い火傷を負っていたのと、額に不思議な形のえぐれたような火傷の跡があったが、それらについては全く自覚がなかった。気道熱傷に関してはもちろん自覚があったが、まさか鼻、喉、気管、肺の中まで赤く焼けただれた上に、肺の奥まで真っ黒に煤がついている、などという重症である自覚は全くなく、まして意識がはっきりしていたため、自分が重度の一酸化炭素中毒であるなどという自覚はひとかけらもなかった。目の角膜に傷があった、つまり当然火傷を負ったが、以前のようには見えないものの、失明はしなかった。)

○ 救急車から出された私はそのまま札幌医科大学付属病院の高度救命救急センターのICU(集中治療部)に入院する。 (公式サイトによれば、「道内唯一の高度救命救急センターとして、心肺停止、ショック、急性冠動脈疾患、多発外傷、特殊外傷、重症熱傷、指肢切断外傷、重症感染症、急性薬物中毒、環境障害等の、救急車やヘリコプターで搬送され、短時間内に生命の危機が生じている最重症(3次)救急患者に対して、特殊緊急処置、ICU全身管理、体外循環、等の最先端医療を駆使し、また各専門診療科の協力も得ながら、24時間365日休むことなく診療を行っています。」とある。
http://web.sapmed.ac.jp/hospital/section/center/accec/)

○ ICUに運び込まれた私は担架から上体を起こされ、私の左腕の部分にハサミを当てている方が「衣服を切る」という内容のこと(正確な言葉は覚えていない)を言ったので、私は思わず「は??」「いや あの、自分で脱げばいいんじゃないんでしょうか?」とささやくと、許可が出たので自分で上着を脱いでTシャツ姿になったまま、周りを取り囲んでいる医師と看護師の方々をじろじろ見回したところ、その方たちからどよめきというか、笑いというか、そういったような声が上がる。

○ そのまま医師の診察を受ける。「左の鼻毛焼失があることから、気道熱傷が強く疑われます」と言うことで、「このままでは喉が腫れ上がって塞がってしまい、呼吸が出来なくなる」、私「もうほとんどなってます」といった簡単なやり取りの後、「この後(生命維持に必要な管を通すのに)苦しいですから眠ってもらいます」と言われ、まずは身長と体重を聞かれた後用意されたベッドに移動され、そこで麻酔で眠らせられる。次に意識が戻った時(目が覚めた時)は、私は全身にチューブ(管)を入れられ、両手をベッドに縛られ(これは私が無意識に、生命維持に必要な管を抜いてしまわないようにするため)、声帯をこじ開けて気道確保のために入れられた直径約1センチ、長さ約22センチの非常に硬い管のために声を失い、完全寝たきりの状態であった。ここから約1週間の、私の壮絶な筆談生活が始まる。

◻ 両親の死因は、父伊藤一雄、母伊藤龍子共に一酸化炭素中毒による心肺停止。
◻ 私は身一つで窓から飛び下りたので、ヴァイオリン2台(正確には全く使っていなかった分数ヴァイオリンなども含めると5台)、普段使用しているヴァイオリンの弓3本、アップライト・ピアノ1台が、私の部屋にあった現金などと一緒に全焼。
◻ 私が異臭に気付いてから、2階の窓から飛び下りるまでの時間は、何度かシュミレーションした結果、長くても
1分50秒間だった。木造建築物に火がまわるのがこれ程速いとは、さすがに想像すら出来ないことだった。


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